かねやす

かねやす

天気が良かったので自転車通勤にした。

帰り道は「本郷通り」経由にしたが、途中、

本郷3丁目の交差点で、面白いものを見つけた。

「かねやす」という雑貨店の入口の脇に、

「本郷も かねやすまでは 江戸の内」との銅板があるのを見つけたのだ。

銅板の下には、説明書きがあり、

「兼康祐悦という口中医師(歯科医)が乳香散という歯磨粉を売り出し大変評判になり、祭
のように賑わった。(御府内備考による)
享保15年に大火があり、防災上から町奉行大岡越前守)は三丁目から江戸城にかけての
家は塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺きを禁じて瓦で葺くことを許した。江戸の町並み
は本郷まで瓦葺きが続き、それからの中仙(中山)道は板葺き・茅葺きの家が続いた。
その境目の大きな土蔵のある「かねやす」は目だっていた。
 「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」
と古川柳にも歌われた由縁であろう。

芝神明前の兼康との間に元祖争いが起き、時の町奉行は、本郷は仮名で、芝は漢字で、と粋
な裁きを行なった。それ以来、本郷は仮名で「かねやす」と書くようになった。」

と記されている。

今では、本郷から先、駒込や王子、赤羽であっても、板葺き・茅葺きの屋根の家なぞ

見たことないし、それらが東京の街の一部であることに疑問は無いが、

この看板から見ると、昔の江戸というエリアは相当狭いものだったのだなということが分かる。

本郷通りは文京区内の区間には、旧町名の案内板が至るところにあり、歴史を今に伝えている。

学生時代、歴史は得意ではなかったけど、

実際にこういった歴史的なモノが目に入ったりすると、自然に興味が沸いてくる。

昔はどうたったのだろうとか、思い浮かべながら自転車を走らせてみる。

川口から通ってくる私は、江戸時代ならば相当な遠距離通勤だろうし、

1時間で来るんだから、自転車はかなり高速な移動手段となるだろうと想像できる。

もっとも、突然、江戸時代にタイムスリップしてしまったら、相当アヤしいヤツということになり、

逮捕→取調べ→牢屋 という理不尽な処遇を受けそうな気がする。

現代に生まれてきて良かった。