西塩子の回り舞台

JRの駅のポスターを見て、西塩子の回り舞台を見に行ってきた。

といっても鉄道ではなくて、クルマだけども。


渋滞に巻き込まれながら、茨城県常陸大宮市の会場に到着したのは午後2時過ぎたあたり。

畑を整地したようなぬかるんだ場所に誘導されてクルマをとめて、公民館のグランドに設営された

舞台へと向かう。

立派な一眼レフカメラを持った人たちが結構見受けられたので、地元の人たちばかりではなさそうだ。

イナカの祭りにしては、かなりの人だかり。

出店もかなり出ていて、とりあえず今川焼きと、まんじゅうを買った。


会場で貰ったリーフレットを見ると、「西塩子の回り舞台」とは、

茨城県日立大宮市西塩子地区に伝えられてきた、組み立て式の農村歌舞伎舞台。

道具には江戸時代後期のもの残る。

舞台、回り舞台、花道の床板などの部材と、舞台背景や各種の幕などの道具を保有し、組み立てごとに柱や

束に使用する材木200本余と、屋根に用いる真竹300本余を切り出して舞台の材料とし、1ヶ月以上を

かけて舞台を組み上げます…」などとあり、由緒ある舞台のようだ。

茨城県指定有形民俗文化財にも指定されており、3年に1回公演をしているという。


さて、会場と言ってもイスがあるわけでなく、工事現場で使うようなブルーシートがゴザ代わりに

広げられており、地元と思しきおじさん、おばさんたちによって占領されている。

ちょっとスペースを見つけて座らせてもらう。


ちょうど、小学生のような子供たちによる 常磐津「将門」が終わるところだった。

ちょっと見たところ、なかなかのものだったので、もう少し早く来れば良かったなと後悔。

それが終わって、次の演目に行くのかなと思っていると、こどもたちの挨拶やら、先生の挨拶やら、

こどもたちの先輩への挨拶やらが始まった。結婚式のスピーチと同じで、こんなのは短いほうがいいのだ。


15時過ぎて、観世流能楽師九世 橋岡久太郎師による「舟辨慶」が始まった。

話の内容は割愛するけども、特別出演のプロだけあって、当たり前だけどホンモノを見たという充実感が

あった。セコイ話だけども、こういうのがタダで見れてラッキーと思った。

それが終わると、またまたインタビュー&長い待ち時間… はぁ。


続いて、平成の大幕の披露があった。

これはこの回り舞台での最も古い道具である大幕の傷みが進んだので、制作された幕ということらしい。

もともとの大幕は1820年に制作されたものであり、180年余を経過している。

確かに傷んでいるようだけども立派だし、別に取り替える必要もないと思ったけど。

で、新しい幕のお披露目。第一印象はうーむ…

新しいからしっくり来ないのか、デザインにモンダイがあるのか…

この幕の染め職人がわざわざ兵庫からやって来て、いろいろ講釈をのたまっていたが、良く聞いてみると、

けっこうボロクソなことを言っていた。素人の織りだから、布が伸びたり縮んだりしてダメだ…とか。

何となくこの職人、酒が入っているような感じ…

で、また布を織ったおばちゃんボランティアやら染め職人の挨拶やらが延々…


散々待たされて、本日最後の演目、歌舞伎「菅原伝授手習鑑 寺子屋の場」になった。

「せまじきものは、宮仕えじゃなぁ」というセリフで有名な歌舞伎。

しかし、しかしだ!

セリフが出てこなくて、隣の役者がごにょごにょ…と助け舟を出したり、

演じている最中なのに、村の防災無線時報のメロディーが流れたり、とハプニングの連続。

これぞ田舎芝居の極みだと思ったが、話の内容は面白かった。

面白いというか日本人のココロに訴えるような内容と言ったほうがいいな。


ところで、回り舞台というものの、舞台が回るのが全然見れなかった。