それでもボクはやってない

裁判を傍聴してきた。

と言っても、映画の話。

周防監督の作品「それでもボクはやってない」という、

痴漢冤罪を通じて、日本の刑事裁判の問題点を描くという内容の映画だ。


見ての感想。

いやもう、男性は満員電車には乗れません。

女性のそばから離れて乗ればいいではないかと言う人もいるだろうけども、

変な具合に押しやられたり、電車の加減速で、いつの間にか若い女性のそばに

居たりすることがあるから要注意。

疑われないように、両手を挙げてればいいのだろうけども、いかにも間抜けだ。

リュックなどを満員電車では背負うのはマナー違反だから、

前に抱えることになるわけだけども、これも当たりかたによっては疑惑をマナザシが向けられそうだ。


ま、予防策についてどうのこうのいう映画では無いのだけども、

いくらやってないと言い張っても、証拠が無くても、「痴漢です」と言われたら、それまで。

ケーサツはハナから罪人扱い、否認すればするほど心証を悪くさせ、留置場から出してもらえない。

容疑者の声にまったく聞く耳を持たず、お前がやったの一点張り。

それにもまして恐ろしいのが、裁判だ。

痴漢の場合は、やった証拠がないからやってないというのではなくて、

「やってない証拠を」出さなければ、やってないということにならないのだ。

アリバイでもあって、その電車に乗ってなかったというのなら、比較的容易だろうけども、

被害女性のそばにいて、痴漢をやってないことの証拠を出せと言われても、無理だ。

「やってないからやってないんです!」と百万回言ってもダメ。

この人は痴漢をしてませんという証人が現れたとしても、ずーっと見てた上で痴漢をしていないと

言うのでなければ証拠として採用されないのだ。

そもそも、裁判官自体が「勇気を持って訴えでた女性が嘘をつくはずが無い」

ということを拠り所としているのだ。やりきれない。

無罪を勝ち取るために、弁護側は必死の努力をして証拠を出すが、判決に反映されるとは限らない。

それでもボクはやってない」というタイトルがあらわすような結末になるのだが、

実に、地団駄を踏む思いであった。


「証拠がなくて、被告が否認している裁判」

これに、有罪か無罪か判決を下すというのは、裁判官のココロ一つ。

裁判員制度が導入されたあとは、国民から無作為に選ばれた裁判員

加わることとなるわけだけども、感情に流されずに、

果たして間違いの無い判決が出せるのか…非常に難しいと思う。